まずはバイヤーになりました
1999年に入って直ぐに、OLライフに終止符をうち、古巣のロンドンへ旅立つ事にしました。かつて暮らしていたロンドンの旧友宅にお世話になりながら、単身でヨーロッパを巡りました。
失うものが何もない、と言うか、ゼロからの出発とは、潔いものなのですね。
イギリス国内、ミラノ、フランクフルト、パリ…。当時開催されていた見本市に片っ端から足を運びました。とりあえず、名刺にはバイヤーと印刷して出発です。
最後に訪れたパリで、最後の最後に見つけたのが、PYLONESという雑貨ブランドでした。その異世界に釘付けでした。独特なカラーセンス、あり得ないと思える斬新なデザインの数々。
『こんなの見たこと無い!何じゃこれはー?』でした。
話を聞くと、まだ日本企業との取引は無くて、少量からでも輸出対応してくれるとの事でした。当時フランス語が全く分かりませんでしたが、何とか対話はできました。
帰国後、どうしても忘れられないあの衝撃的な出会い…。日本で売れるか分からないけれど、誰も取り扱っていないなら、私にチャンスがあるのかもしれない…。やってみよう!
当時パリとロンドンに既に店舗があり、将来性がありそうな匂いがしたのも、決意の後押しとなりました。
まだ当時はメールが普及してなかったので、地道にファックスでの取引きが始まりました。少量のサンプルを取り寄せて、営業活動を行なっていたのですが、日本ではまだ見たこともない衝撃的なアイテムですから、使い方も分かりにくいし、カラフル過ぎて馴染めない事…など、分かって来ました。
ならば、直接自分の手で、お客様へ届けよう!直に説明すれば良いよね。ならば、お店をやるしかない、という無謀な判断に至った訳です。
そんな熱苦しいアジア人、しかも若い女性が一人で奮闘しようとしている…。よほど珍しかったのでしょう。フランス人の好奇心をくすぐった様でした。
その後、数度に渡る渡仏とミーティングを経て、PYLONESの創始者である社長から、貴女に日本での販売を全て託したい、と言ってもらえるに至ったのです。
何年かして、どうして自分を信頼して選んだのかと社長に聞いたところ、今まで誰もPYLONESを全部やりたいと言った人はいなかったし、何よりも商品を愛してくれる君とパートナーになりたいと。大企業の一部署では無い方が良いんだよ、との事でした。
感激の涙と共に、責任を持って、このブランドを日本へ届けようと決心したのでした。
その後、苦戦の年月が続いた時も、フランスの社長にしか相談や泣き言は言わず、その度に度肝を抜くような励ましの言葉の数々をかけて貰いました。
好きなことを仕事にする、熱意は通じる、そんな泥臭いテーマを学んで来たなーと、思います。